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2011年8月

ケッパレ東北! ボランティアライナーの旅4

Hotel 翌朝、目を覚ますと、背筋と腕を中心に全身が筋肉痛。他のメンバーからも、「今日、もう1日あの仕事なんて、できないよね…」といった声が聞こえてきます。一方で、まだまだ物足りないというメンバーもいらっしゃったかと思いますが、少なくとも私に関して言えば、活動日1日だけの観光付きツアーに参加したことは、体力的に妥当な選択だったようです(ちょっと、いや、かなり情けないですが…)。ともあれ、今日は気分を切り替えて、観光を楽しむことにしましょう。

Ship Uminekoバスが向かったのは、ホテルにほど近い浄土ヶ浜の遊覧船乗り場。本来の桟橋が壊れてしまったため、少し歩いて別の場所かUminekopan_2ら乗船し ます。出航すると間もなく、船の周りにウミネコが群がってきました。船内で「うみねこパン」を買い、少し大きめに千切って投げ与えると、ウミネコはサッと滑空して、パンが水面に落ちる前にクチバシで見事にキャッチ! 船内のあちこちから歓声が上がります。

Bridge

Quay

船から陸を眺めると、やはり津波の爪痕が生々しく残っていました。橋桁が落ちたままの道路や、途切れ途切れになってしまった防波堤。岸壁は地盤沈下のため海水面とほぼ同じ高さになり、船を着けることができません。

けれども、宮古が誇る変化に富んだ海岸線の景観は健在でした。遊覧船の見所は、海に突き出た巨大なローソク岩(下の写真の上段中央、高さ40メートルあるそうです)、大きな波が打ち寄せると海水が吹き上がる潮吹穴、クロコシジロウミツバメの集団営巣地で、化石の宝庫としても知られる日出島など様々で、これらはいずれも国の天然記念物に指定されています。甲板を左右に移動しながら夢中でカメラのシャッターを切り、約40分の船旅を満喫しました。
Sight3 Rosokuiwa Sight4










Sight5 Sight1








印象的だったのは、船内でマイクを握るガイドさんが、40名近い団体客を迎えて、とても生き生きと嬉しそうにアナウンスをしてくださったことです。遊覧船の運行は7月中旬に再開されたそうですが、まだお客さんはそれほど多くないのかもしれません。

Guide 宮古湾に面した地域では多くの建物が流され、かろうじて残った工場なども、骨組みは曲がり、屋根は波打つような形に変形しています。それでも地元の方たちは、頑張って遊覧船を運航しています。そうであるなら、そこにはやっぱり、私たちのような観光客の姿が必要ですよね。

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ケッパレ東北! ボランティアライナーの旅3

Michinoeki 大槌町での活動を終えた私たちは、再びバスに乗って、宿泊地の宮古市へ向かいました。途中、「道の駅やまだ」で小休止。泥かきで汗をかいた後だけに、冷たいソフトクリームの味が格別です。

ここ山田町もまた、津波で大きな被害を受けた地域の一つです。車窓から市街地を眺めると、どこまで波が達したのか、その境界がはっきりとわかりました。

Yamada 5月に秋田県の乳頭温泉を訪れた際、津波で家を流されたという方にお会いし、帰宅後にミシンをお譲りしたことを「東北応援! 角館&田沢湖の旅(3)」に書きました。実は、そのミシンの送り先が山田町でした。直後にいただいたお電話で、間もなく仮設住宅へ移られると伺ったきりですが、その後、お元気でいらっしゃるでしょうか…。

さて、この日の宿は、陸中海岸国立公園の景勝地に建つ浄土ヶ浜パークホテル。男女別の相部屋で、1室を4~5人で利用します。

Sunset 部屋には宿の方が既に人数分の布団を敷いてくださっていましたが、泥まみれで、そのままではとても中へ入れない私たち。部屋の入り口で長靴を脱いで大浴場へ直行し、まずは汗と汚れを流します。ようやく人心地がついて、客室の窓から外を眺めると、夕焼けに染まった松林が綺麗でした。

浄土ヶ浜パークホテルは高台にあるため、震災で(ライフラインは止まったものの)直接の被害を受けず、家を失った地元の方や、救援・復旧作業の関係者などを受け入れてきました。8月初旬から、一部の客室に限って一般の宿泊を再開したとのことですが、この日の一般客は私たちのツアーのほか、演奏活動で旅行中らしい若い女性(大学生くらいか、引率らしい方が一緒だったので、もしかすると高校生かも)のグループが1つだけ。やはり、ほとんどは警察関係者だったようです。

そのような事情で、ツアーを主催する岩手県北観光には、ホテルから「食事はビュッフェ形式ですが、通常よりも品数が少なめです」との連絡が入っていたそうです。確かに、「ホテルのビュッフェ」から想像するような豪華さはありませんでしたが、お刺身(お一人様3切れまで!)などもあって、量も味も十分です。売店で缶ビール(アサヒスーパードライの「平泉文化遺産」ラベル)を購入し、ツアー参加者と互いの健闘(?)をたたえて乾杯しました。

Banner ビュッフェ会場には、「三陸の救援・復旧・復興にご協力・ご尽力を頂き、深く感謝申し上げます。」と書かれた横断幕が掲げられていました。夕食の時間には、「第○○機動隊」などとプリントされた揃いのTシャツを着た体格の良い男性のグループが、次々にやって来ます。また、朝食時間は6:30からなのですが、最も混み合う時間帯は6:30~7:00だそうで、私たちが朝風呂を楽しんでから朝食を食べに行った7:00過ぎには、皆さん既にそれぞれの制服に身を固め、忙しげに出掛けて行くところでした。連日の激務、本当にご苦労様です。

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ケッパレ東北! ボランティアライナーの旅2

更に20分ほどバスに揺られ、活動場所の大槌町へ入りました。車窓からまず目に飛び込んできたのは、何台もの乗用車が前後から押し潰され、グシャグシャに折り重なった「塊」でした。メディアを通じ、津波で壊れた車は何度も見ていましたが、それらの映像や写真の比ではありません。一体、どんな力が加われば、金属でできた車がこれほどまでに変形するのでしょうか。

School ボランティアの受付場所は大槌小学校でした。津波の被害だけでなく、火災の跡もくっきりと残っていますが、校庭も利用して、ここに災害対策本部や町役場の仮庁舎が置かれているようです。

小学校の前に立って大槌湾の方向を見やると、雑草が茂る広大な荒れ地が広がっていました。そこに半年前まで町があったことを頭では理解しているものの、どうしても実感がわきません。

こちらで震災前の大槌町の地図をご覧いただくことができます(Googleマップに飛びます)。左上の赤い印を付けた場所が大槌小学校です。その南(下)側一帯に広がっていたはずの市街地は、跡形もなくなっていました。そこに鉄道(山田線)が通っていて、駅まであったとは、帰宅して地図を確認するまで思いもよりませんでした。

さて、私たちツアー一行に割り当てられた仕事は、源水川のイトヨ再生活動でした。イトヨとは体長6cmほどの小さな魚で、大槌町の天然記念物に指定されており、岩手県の絶滅危惧種でもあります。一定水温以下の湧き水でしか生息できないため、津波の被害で絶滅が心配されていましたが、源水川の源流で生存が確認されたことから、大槌町社会福祉協議会と国際NGO Life Investigation Agency(LIA)が中心になって、川の環境整備を行っているそうです。

この日の作業内容は、川底に堆積したヘドロの排出。ヘドロをスコップですくい取って土嚢袋に詰め、土手の上まで運び上げて、更に所定の場所まで一輪車で運搬します。ヘドロを掘っていると、時々、大きな屋根瓦や家電製品の部品(と思われる物)、ガラスの破片など、思いがけない物が出てきました。川に隣接した大槌中学校の建物が、屋根まで被害を受けていましたから、震災当日は波がその高さまで達したわけです。

Gensuigawa現場には私たちのほかにもボランティアバスが着いており、百数十人が協力して作業にあたりました。私の右隣で黙々と泥をすくっているのは、和歌山から来た「もしボラ隊」の女子高生、左側で土嚢袋を受け取ってくれるのは、茨城から参加の初老の男性といった具合です。最初にNGOの担当者から簡単な説明があっただけで、特にリーダーがいるわけではありませんが、いつの間にか作業ラインが出来上がっています。

それにしても、川の水をたっぷり吸ったヘドロの重いこと。気合いだけは十分ですが、土嚢袋が思うように持ち上がらずに悪戦苦闘、気がつけば全身泥まみれです。足下が不安定なのも辛いところで、土嚢袋を持ち上げた途端にその重さで長靴がヘドロに沈み、長靴の縁よりも水面が高くなって、靴の中に一気に泥水が流れ込んだこともありました。そうなると、ヘドロから足を抜くのも一苦労です。

Sandbag 今回のツアーは観光付きで、活動日は1日だけ。出発前には、ボランティアはオマケで、現地にお金を落としてくるだけでもよいかな…と思っていました。実際、活動時間は正味4時間ほどでしたし、慣れない力仕事ですから、自分なりに頑張ったとはいえ、それほど戦力になれたとは思いません。

けれども驚いたことに、作業の前後で、川の様子は一見してわかるほど変わりました。堆積したヘドロで浅く見えていた川が本来の深さを取り戻し、停滞していた流れもこころなしか速くなったようです。100人を超える人海戦術の威力です。そして、人海戦術が成立するためには、たとえ1人1人の力は僅かでも、そのほんの少しずつの力が必要なのですね。それを実感した1日でした。

なお、同じ日に同じ場所で活動していた茨城交通のツアーの添乗員さんが、「岩手ボランティアバス日記」を書いているのを見つけました。よかったらそちらもご覧ください。

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ケッパレ東北! ボランティアライナーの旅1

震災から5カ月あまり。日々慌ただしく過ごしながらも、出身地が栃木県北部で東北に近いこともあって、被災地域のことはずっと気になっていました。三陸牡蠣復興支援プロジェクトや南三陸町の「こども夢花火」に(少しだけですが)出資するなど、現地へ行かなくてもできることを探していたところ、先月、東京でできる被災地域の写真洗浄ボランティアの募集を見つけ、2日間だけお手伝いしてきました(りす会:あらいぐま作戦)。そこで、津波で流されて泥だらけになった写真に直接触れる機会があったことで、実際に現地へ行きたいという気持ちが強くなりました。

折しも、仙台に母校があってずっと東北を気に掛けていた夫が、節電対策で長くなった夏休みを利用して、会社の仲間と一緒に石巻へ行くと言います。残念ながら私はそれほど長く休めませんし、何日も続けて活動する体力もありませんが、1日だけなら頑張れるはず…。というわけで、夫とは別行動で、「ケッパレ東北!ボランティアツーリズム」と銘打った、観光付きボランティアツアーに参加することにしました。ツアーを選んだポイントは、東北の旅行会社(岩手県北観光さん)が主催していること。同じ旅費を払うなら、大手の旅行会社よりも、やっぱり現地の会社です。

長靴や踏み抜き防止のインソール、ゴム手袋、ゴーグルなどを買い揃え、いよいよ8月19日の出発を迎えました。この日はお昼過ぎに宮城県で震度5弱を記録する地震があり、やや出鼻をくじかれた気分でしたがBus 、ともかく集合場所の浜松町バスターミナルへ。定刻の22:30に出発したバスは、3回の休憩をはさみ、一路北を目指しました。

乗り物、特に車が苦手な私にとって、夜行バスに乗ることは、それだけで一大決心です。東北自動車道の福島以北は道が悪く(元々なのか震災の影響なのかわかりませんが)、バスが揺れてほとんど眠れなかったこともあって、翌朝6時に花巻のホテル「金婚亭」に到着した時には、完全にグロッキー。ここで1時間休憩し、朝食と着替えを済ませます。朝食のメニューは、焼き鮭や卵焼き、納豆といった典型的な「日本の朝ご飯」。食欲は皆無でしたが、この後の活動を考えれば、食べないわけにいきません。

花巻で添乗員さんが合流し、活動場所の大槌町まで、更に2時間あまりのバスの旅が続きます。バスの中で添乗員さんが、「○○からご参加の××様です」とメンバー全員を紹介してくださいました。ツアー参加者は総勢38名。驚いたことに、愛媛や広島、名古屋など、遠方からの参加者がかなり沢山いらっしゃいました。皆さん、わざわざ東京まで出て夜行バスに乗り、帰りも東京に一泊して翌日帰宅するわけで、その意欲の高さに脱帽です。

約2時間後、バスは釜石の町に差しかかりました。車窓から見えるのは、地元の栃木を思わせるような、よくある地方都市の商店街の風景です。それが、ある場所を境に一変しました。バスが通過していく商店街からは海が全く見えないにもかかわらず、道路沿いの建物は、2階部分まで波が貫通したことが明らかです。

中には既に1階部分の補修工事が始まっている建物もあり、その傍らの地面に黄色い小旗が立っているのが目に留まりました。震災からまだ間もない頃に、被害を受けた自宅をどうして欲しいか、緑(そのまま)、黄色(瓦礫だけ撤去)、赤(自宅ごと撤去)の3色で意思表示をした旗です。

補修中の建物の隣に目を移すと、そこにはぽっかりと空き地ができていました。半年前までそこに家が建っていたことを示すのは、僅かに残った土台のコンクリートと、風にはためく赤い小旗だけです。

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