東北応援!

日本三景 松島の旅(4) -島巡り観光船-

東日本大震災の後、被災地で観光船の運航が再開されたという明るいニュースが最初に届いたのは、松島からだったと記憶しています(調べてみると、昨年の大型連休前、4月29日に運行が再開されていました)。松島湾の島々が防波堤の役目を果たしたため、壊滅的な被害を受けた近隣の東松島市などに比べると、松島町の被害は小さかったと聞きます。

Resthouse しかし、観光船乗り場へ行ってみると、「津波はこの高さまで来ました」と書かれたプレートが貼られている位置は、私の身長を超えています。当時の写真も掲示されていましたが、レストハウスを波が貫通して、自販機はすべて横倒しになり、床は泥やその他の漂流物で足の踏み場もPlate ない状態でした。その状況から、短期間で観光船の運行再開に漕ぎ着けた苦労と努力を思うと、本当に頭が下がります。

観光船だけではありません。船着き場から瑞巌寺の門へ向かう通りの、左右に並んだ土産物店。最も海に近い左右2軒は閉まったままで、入り口や窓に板が打ち付けられていましたが、それ以外のお店はすべて開Miyage いて、店員さんが観光客に声を掛けています。ところがよく見ると、海に近い側の数軒は、店内が復旧途上で、店先に並べた商品だけで営業しているようです。観光地・松島の底力と心意気を感じました。震災当日、松島を訪れていた観光客は約1200人。地元の方々のおかげで、1人の怪我人もなかったそうです。

というわけで、松島へ来たからには、観光船は外せません。仁王丸という船で、約50分の周遊コースに出発しました。ところが、前日までの嵐の影響か、あいにく波が高く、「安全のためコースを変更して運行します」とアナウンスがあったほど。本来のコースをややショートカットして戻ってきたようです。それでも船はかなり揺れ、目が回りそうになったため、途中で外を眺めるのを断念。ちょっと残念でしたが、代わりに夫が写真をたくさん撮ってくれていたようです。

Cruise1 Cruise2









Cruise3 Cruise4









ちなみに、この日の夕食はご覧の通り。1日目も豪華でしたが、さらにグレードアップした感があります。メインはアワビのステーキで、美味しくいただきました。
Tsukidashi Sashimi Awabi

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日本三景 松島の旅(3)-五大堂、瑞巌寺、円通院-

旅行2日目。さすがに雲一つない青空…とはいきませんでしたが、なんとか雨は上がったようです。

Gdaido2 まず向かったのは五大堂。平安時代初期に坂上田村麻呂が奥州遠征した際、毘沙門堂を建立したのが始まりと伝えられています。現在の建物は伊達政宗の命で再建されたものだそうで、国の重要文化財に指定されています。Gdaido_2 お堂が建つ小島と陸を結ぶ朱塗りの橋は「すかし橋」と呼ばれ、橋桁の隙間から海が見えるのが特徴です。



Kuri 続いて瑞巌寺へ。こちらも伊達政宗が再建した禅寺です。2008年から大規模な修復工事が行われており、残念ながら本堂(国宝)を拝観することはできませんが、震災の際には貴重な屋根瓦が取り外されていたため、落ちて割れたりせずに済んだのだそうです。

修理期間中は本堂が非公開となる代わりに、国宝の庫裡(左の写真)や陽徳院御霊屋(正宗の正室・愛姫の墓所)が特別公開されています。また、普段は本堂に安置されている御本尊や、初代正宗を含む伊達家代々の位牌などを見ることができます。位牌と言っても手のひらに収まるようなものではなく、抱え上げるのも一苦労と思われる大位牌です。

Garden 瑞巌寺を出たところにあった茶店で昼食を済ませ、お隣の円通院へ。臨済宗のお寺で、テレビのロケによく使われるという綺麗な庭園と、正宗の孫・光宗の霊廟である三慧殿(国指定重要文化財)が見所です。三慧殿の絢爛たる内装の特徴は、バラや水仙、トランプの4つのマーク、十字など、西洋的な模様が使われていること。Sankeiden しかし、この霊廟が建てられたのは、キリスト教が禁止されていた鎖国時代です。西洋風の模様は巧みにカモフラージュされていますが、東北の勇・伊達家といえども、本来「あってはならない」もの。そのため、この美しい霊廟は長い間封印され、人々の目に触れることがなかったのだそうです。

Point 円通院では地元のボランティア・ガイドと思われる方が、無料で案内役を務めてくださいました。上述のような興味深いお話を聞かせてくださった後で、その方が私たち観光客に向けて最後におっしゃった言葉は、「津波が来たら、逃げてください」。

昨年3月11日の津波は、瑞巌寺や円通院のすぐ手前まで迫っていたようです。参道から見える位置に、「津波到達点」と書かれた札が立てられていました。この辺り一帯の林の木々も海水に浸かってしまったわけで、枯れたりせずにこのまま元気に育ってくれるよう、祈らずにはいられません。

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日本三景 松島の旅(2) -海の幸の和懐石-

仙台駅から目的地の松島海岸駅までは、仙石線を利用しました。現在、仙石線の運行区間は、松島海岸の1駅先の高城町駅までで、石巻へは松島海岸駅から代行バスが出ています。私たちのように松島が目当ての観光客のほか、石巻へボランティアに向かうのか、大きな荷物を持ってバスに乗り込む人の姿もみられました。

気になるお天気は…文字通りの土砂降り。時間はまだ早いですが、とても街歩きができる状況ではありません。真っすぐホテルへ向かうことにしてタクシーに乗り込むと、運転手さんも「かき入れ時なのに…」と嘆いていらっしゃいました。

Ubudo 今回お世話になった宿は、ホテル海風土。「うぶど」と読みます。バリ島のウブドをイメージした内装で、和の粋とアジアンテイストの融合がテーマだそうです。東北とバリ島の組み合わせに、「なぜ?」と思わないでもありませんが、水盤に浮かべられた花などの飾り付けからは、なるほど本家ウブドの雰囲気が感じられます。(インドネシア旅行記はこちらです。ウブドも訪れました。)



部屋からは松島湾が一望できますが、外は大荒れ。雨だけでなく、風も恐いくらいの音を立てています。こうなったら、温泉三昧を決め込むしかありません。

お風呂の後は、アロマ・マッサージへ。仙台から通っているというセラピストさんと世間話をしているうちに、震災の話題になりました。彼女によると、このホテルは津波の直接の被害は受けなかったものの、街の中心部が浸水したために、孤立してしまったのだそうです。

さて、お待ちかねの夕食は、地元松島や三陸の海の幸をふんだんに使った和懐石です。写真は左から順に、「季節の魚 大鉢盛り」「三陸産 真牡蠣 柏葉蒸し」「松島近海魚貝 炭火焼」です(料理の名前は御品書きの通り)。
Otsukuri Oyster Sumibiyaki






Beer
地元のお酒も忘れてはいけません。私は松島の地ビールを注文しました。ヘレス、ヴァイツェンなど数種類あるようですが、運ばれてきたのは褐色のデュンケル。ドイツ・ビールを思わせる、しっかりした味わいです。一方、夫は地酒を順番に3種類!飲兵衛ぶりが目に留まったのか、飲み物の責任者らしい方が、「日本酒お好きですか?」と、わざわざ声を掛けてきたほどでした。

外の嵐はやむ気配がなく、松島町にも警報が出されましたが、幸い私たちのホテルに危険はないようです。明日は少しでもお天気が回復するとよいのですが…。

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日本三景 松島の旅 (1)

今年(2012年)の3月から4月にかけては仕事のスケジュールがかなりタイトで、休日返上が続いていましたが、ゴールデンウィークの後半になんとか3連休を確保。日本三景の一つとして知られる、宮城県の松島へ出掛けてきました。

天気予報どおり生憎の雨模様の中、大宮駅の新幹線乗り場へ着いてみると、なにやらイヤ~な雰囲気。どうやら東北新幹線に少なからぬ遅れが出ているようです。福島駅での停電の影響(大雨のせい?)ということは、これから向かう東北方面は、よほどお天気が荒れているのでしょうか。

心配になりながらも、ともかく新幹線の待合室へ。特定の列車が遅れているわけではなく、ダイヤがそっくり後ろ倒しになった形で、結局40分ほど待つことになりましたが、聞こえてくる案内の放送が非常に親切で、運行状況が手に取るようにわかります。自分が乗る列車が入ってくる直前まで、待合室で座って待つことができて助かりました。

Superexp 往路の大宮-仙台間は、なんとグリーン車。連休真っただ中で、普通車の座席が確保できなかったためですが、滅多にない機会なので密かに楽しみにしていました。ところが、乗った車両にはGWのせいか親子連れの姿が目立ち、間の悪いことに、通路を挟んで隣に乗っていた男の子が、片時もじっとしていません。「静かで快適なグリーン車」のイメージは、あっさり覆されてしまいました。

さて、元々の予定では、松島か塩竃に着いてから海産物の昼食を…と考えていたのですが、列車に遅れが出たため、仙台到着時点で正午を回ってしまいました。急ぐ旅でもなし、この際、仙台の味覚を楽しむことにしましょう。

Tan 仙台名物といえば、そう、牛タンです。たんや善治郎さんの駅前本店で、オーソドックスに牛タン定食を注文しました。実は、仙台で牛タンを食べるのは初めての経験。東京近辺の焼き肉屋さんで出てくる薄切りのタンしか知らなかったので、お皿の上のお肉の厚さにビックリしました。それだけでもボリューム満点ですが、麦とろご飯に牛テールのスープまで付く本格派。これで税込み1575円ですから、コスト・パフォーマンスもバッチリです。

というわけで、松島を巡る旅は、仙台でのご当地グルメからスタートです。 

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鎌先温泉と白石城(後編)

Breakfast Zouni 明けて2012年1月1日。朝食のテーブルには、伊達巻きや蒲鉾、筑前煮など、お正月らしいお料理が並びました。嬉しいことに、お雑煮とあんころ餅も付いています。


この日は市内の観光地がいくつか開いているとのこと。フロントでタクシーをお願いしたところ、宿の方が白石城まで送り届けてくださいました。白石蔵王駅へ向かうために同乗した宿泊客のご夫婦によると、前日はお城の門が閉まり、周囲も閑散としていたそうですが、この日は人の往来も多く賑やかです。

Castle Castle2 白石城は伊達家の重臣・片倉氏の居城でしたが、明治維新後に解体され、現在の建物は平成7年に復元されたものです。東日本大震災を受けても、木の骨組みはびくともしなかったそうですが、壁はかなりの被害を受けていて、綺麗な白壁に大きなヒビが入っているのが痛々しく見えました。建物の中へ入ると、白い壁のあちこちに青い斜線が引いてあるのが目につきます。Zaoh すべて修理が必要な箇所ですが、冬季は漆喰が凍ってしまうため、修復工事は暖かくなるまでお預けなのだそうです。

急な階段を注意して上り、最上階の戸を開けて外へ出ると、遠くでは雪化粧した蔵王の山々が銀色に輝いていました。

Shrine お城を出た私たちは、近くの神社へ。地元の皆さんが初詣に出掛ける場所のようで、かなりの長さの行列ができており、「白石高校合格祈願」などと書かれた絵馬が目立ちました。昨年は震災を始め各地で多くの自然災害がありましたが、今年は穏やかで明るい年になるとよいですね。



白石城歴史探訪ミュージアムで、白石城を舞台にした30分ほどの3Dハイビジョン映像を楽しむと、時計は正午をだいぶ回ってしまいました。地元の名産で昼食といきたいところですが、この日は1月1日。ガイドブックに載っているお店に何軒か電話をしても、留守番電話が「新年は4日から営業します…」などと言っています。

Umen Ichifuji そこで、タクシーを呼んで、運転手さんに相談してみることにしました。運転手さんも「元旦ですよね…」と考え込んでしまいましたが、心当たりのお店を順番に回ってくださり、3軒目で営業中のお店を発見。大変な割には距離が出なかったのに、「よかったですね!」と嬉しそうに言ってくださった運転手さん、ありがとうございます! おかげで、とても美味しい白石温麺(うーめん)をいただくことができました。

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鎌先温泉と白石城(前編)

大晦日には私の実家(栃木)へ行って1泊し、元日に戻ってきて一息ついてから、3日に夫の実家へ…というのが例年の年末年始の過ごし方なのですが、今年は義父母と一緒に東北の温泉へ出掛けてきました。

実は今回の温泉、予約をするまで名前も知りませんでした。義父母宅が横浜にあるので、2人の体力的な負担を考慮すれば、アクセスの良い箱根や熱海などがまず候補に挙がるはずですが、学生時代を仙台で過ごした夫は「お金を使うなら東北で」と考えていて、それ以外の場所は全く頭にないようです。とはいえ、すぐに思いつく東北の有名な温泉地は、新幹線に長時間乗らなければ着かない遠方か、新幹線を降りてから在来線やバスに長時間揺られなければならない場所がほとんど。どこかにアクセスの良い東北の温泉はないものか…。

悩んだ嫁(=私)がインターネットを駆使して見つけたのが、宮城県南部にある鎌先温泉でした。新幹線が停車する最寄り駅は白石蔵王で、東京から約2時間。駅からもタクシーで15分ほどと、求める条件にピッタリです。

Suzukiya 出発は大晦日。白石市内の観光地はすべて休業とのことで、まっすぐ宿へ向かうことにしました。お世話になった「すずきや旅館」さんは、1764年創業の老舗。ロビーや廊下に飾られた活け花や置物が上品で、さりげない心遣いを感じます。この日は満員御礼で、従業員の皆さんはかなり忙しそうでしたが、私たちの部屋を担当してくださった女性の素敵な笑顔が印象的でした。


大晦日ということで夕食はちょっと奮発し、グレードアップ・プランをお願いしておきました。品数豊富で盛りつけも綺麗。お造りには大きな甘エビとカニの足も乗っていて豪華です。義父母にも喜んでもらえたようで、まずは一安心です。

Dinner Dinner1 Dinner2





元々、湯治場として知られた鎌先温泉。「すずきや」さんには、大浴場が2つと古代檜の露天風呂があり、大浴場は午後6時に男女ののれんが入れ替わります。早めにチェックインしたので、両方のお湯を楽しむことができました。             

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ケッパレ東北! ボランティアライナーの旅5

Bonnetbus 船を降りた私たちを出迎えてくれたのは、昔懐かしいボンネットバス。このバスと、元々乗ってきた観光バスに分乗し、浄土ヶ浜へ向かいました。

浄土ヶ浜は三陸を代表する景勝地で、鋭く尖った白い岩が林立する独特の景観を誇っています。浜の名前は、天和年間(1681~1684年)に、宮古山常安寺七世であった霊鏡竜湖が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことに由来するのだそうです。

先程まではあいにくの曇り空で、時折、小雨もぱらついていましたが、すっかり晴れて日が射してきました。明るい空の下、白い砂浜の向こうに奇岩が並ぶ光景は、どこか別世界に迷い込んだようです。波は静かで、あの日、この同じ海が牙をむいたことが信じられません。
Beach2_2 Beach4_2







Resthouse

ここは本来、人気の海水浴場なのですが、今年は残念ながらその開設が見送られました。レストハウスも修理中で、海水浴客の代わりに、砂浜に流れ着いたゴミを熱心に拾う、地元の方らしい姿がありました。来年の夏は、この綺麗な砂浜に、水遊びを楽しむ子供たちの声が響くことを切に願ってやみません。

私たちツアーの一行は、この浄土ヶ浜をバックに全員で記念撮影。初対面のメンバー同士、一緒にいたのは短い間でしたが、源水川で共にヘドロと格闘し、一気に親近感がわいたような気がします。この時の写真は、岩手県北観光さんのホームページに掲載される予定とのことで、楽しみにしています。

(9月8日追記 添乗員さんのレポートとこの時の写真がこちらに掲載されました。)

5回を重ねた「ボランティアライナーの旅」はこれで終わりますが、ここに書いたのは、あくまでも私が見てきた岩手県の釜石市、大槌町、山田町、宮古市の、ごく一部の様子です。今回は活動内容が川の泥かきだったこともあって、被災された方の生活の様子などを直接目にする機会はなく、遠くから見た限りでは、壊れた建物の撤去なども比較的順調に進んでいる印象でした。

一方、ほぼ同じ時期に宮城県・石巻市の郊外で活動していた夫によると、ニュースなどで頻繁に報道される町と町との間には、小さな集落がたくさんあって、地盤沈下で水が引かなかったり、唯一の橋が落ちてしまったりといった事情で重機が入れず、津波が押し寄せた直後の状態のまま、ほとんど手つかずで残っているのだそうです。このように、一口に「東北」や「被災地」と言っても状況は様々で、必要な支援も異なります。震災から間もなく半年が過ぎようとしており、今後、ニーズは益々多様化してくることでしょう。

Kizuna 今回、力仕事では限界を感じましたし、東北へ度々出掛けるのも難しいですが、現地で必要とされている支援を敏感かつタイムリーにキャッチできるように、情報収集のアンテナだけは、常に高く伸ばしておきたいと考えています。そして、そう遠くない機会に、(純粋な観光旅行になってしまうかもしれませんが)再び東北を訪れることができれば…と思っています。

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ケッパレ東北! ボランティアライナーの旅4

Hotel 翌朝、目を覚ますと、背筋と腕を中心に全身が筋肉痛。他のメンバーからも、「今日、もう1日あの仕事なんて、できないよね…」といった声が聞こえてきます。一方で、まだまだ物足りないというメンバーもいらっしゃったかと思いますが、少なくとも私に関して言えば、活動日1日だけの観光付きツアーに参加したことは、体力的に妥当な選択だったようです(ちょっと、いや、かなり情けないですが…)。ともあれ、今日は気分を切り替えて、観光を楽しむことにしましょう。

Ship Uminekoバスが向かったのは、ホテルにほど近い浄土ヶ浜の遊覧船乗り場。本来の桟橋が壊れてしまったため、少し歩いて別の場所かUminekopan_2ら乗船し ます。出航すると間もなく、船の周りにウミネコが群がってきました。船内で「うみねこパン」を買い、少し大きめに千切って投げ与えると、ウミネコはサッと滑空して、パンが水面に落ちる前にクチバシで見事にキャッチ! 船内のあちこちから歓声が上がります。

Bridge

Quay

船から陸を眺めると、やはり津波の爪痕が生々しく残っていました。橋桁が落ちたままの道路や、途切れ途切れになってしまった防波堤。岸壁は地盤沈下のため海水面とほぼ同じ高さになり、船を着けることができません。

けれども、宮古が誇る変化に富んだ海岸線の景観は健在でした。遊覧船の見所は、海に突き出た巨大なローソク岩(下の写真の上段中央、高さ40メートルあるそうです)、大きな波が打ち寄せると海水が吹き上がる潮吹穴、クロコシジロウミツバメの集団営巣地で、化石の宝庫としても知られる日出島など様々で、これらはいずれも国の天然記念物に指定されています。甲板を左右に移動しながら夢中でカメラのシャッターを切り、約40分の船旅を満喫しました。
Sight3 Rosokuiwa Sight4










Sight5 Sight1








印象的だったのは、船内でマイクを握るガイドさんが、40名近い団体客を迎えて、とても生き生きと嬉しそうにアナウンスをしてくださったことです。遊覧船の運行は7月中旬に再開されたそうですが、まだお客さんはそれほど多くないのかもしれません。

Guide 宮古湾に面した地域では多くの建物が流され、かろうじて残った工場なども、骨組みは曲がり、屋根は波打つような形に変形しています。それでも地元の方たちは、頑張って遊覧船を運航しています。そうであるなら、そこにはやっぱり、私たちのような観光客の姿が必要ですよね。

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ケッパレ東北! ボランティアライナーの旅3

Michinoeki 大槌町での活動を終えた私たちは、再びバスに乗って、宿泊地の宮古市へ向かいました。途中、「道の駅やまだ」で小休止。泥かきで汗をかいた後だけに、冷たいソフトクリームの味が格別です。

ここ山田町もまた、津波で大きな被害を受けた地域の一つです。車窓から市街地を眺めると、どこまで波が達したのか、その境界がはっきりとわかりました。

Yamada 5月に秋田県の乳頭温泉を訪れた際、津波で家を流されたという方にお会いし、帰宅後にミシンをお譲りしたことを「東北応援! 角館&田沢湖の旅(3)」に書きました。実は、そのミシンの送り先が山田町でした。直後にいただいたお電話で、間もなく仮設住宅へ移られると伺ったきりですが、その後、お元気でいらっしゃるでしょうか…。

さて、この日の宿は、陸中海岸国立公園の景勝地に建つ浄土ヶ浜パークホテル。男女別の相部屋で、1室を4~5人で利用します。

Sunset 部屋には宿の方が既に人数分の布団を敷いてくださっていましたが、泥まみれで、そのままではとても中へ入れない私たち。部屋の入り口で長靴を脱いで大浴場へ直行し、まずは汗と汚れを流します。ようやく人心地がついて、客室の窓から外を眺めると、夕焼けに染まった松林が綺麗でした。

浄土ヶ浜パークホテルは高台にあるため、震災で(ライフラインは止まったものの)直接の被害を受けず、家を失った地元の方や、救援・復旧作業の関係者などを受け入れてきました。8月初旬から、一部の客室に限って一般の宿泊を再開したとのことですが、この日の一般客は私たちのツアーのほか、演奏活動で旅行中らしい若い女性(大学生くらいか、引率らしい方が一緒だったので、もしかすると高校生かも)のグループが1つだけ。やはり、ほとんどは警察関係者だったようです。

そのような事情で、ツアーを主催する岩手県北観光には、ホテルから「食事はビュッフェ形式ですが、通常よりも品数が少なめです」との連絡が入っていたそうです。確かに、「ホテルのビュッフェ」から想像するような豪華さはありませんでしたが、お刺身(お一人様3切れまで!)などもあって、量も味も十分です。売店で缶ビール(アサヒスーパードライの「平泉文化遺産」ラベル)を購入し、ツアー参加者と互いの健闘(?)をたたえて乾杯しました。

Banner ビュッフェ会場には、「三陸の救援・復旧・復興にご協力・ご尽力を頂き、深く感謝申し上げます。」と書かれた横断幕が掲げられていました。夕食の時間には、「第○○機動隊」などとプリントされた揃いのTシャツを着た体格の良い男性のグループが、次々にやって来ます。また、朝食時間は6:30からなのですが、最も混み合う時間帯は6:30~7:00だそうで、私たちが朝風呂を楽しんでから朝食を食べに行った7:00過ぎには、皆さん既にそれぞれの制服に身を固め、忙しげに出掛けて行くところでした。連日の激務、本当にご苦労様です。

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ケッパレ東北! ボランティアライナーの旅2

更に20分ほどバスに揺られ、活動場所の大槌町へ入りました。車窓からまず目に飛び込んできたのは、何台もの乗用車が前後から押し潰され、グシャグシャに折り重なった「塊」でした。メディアを通じ、津波で壊れた車は何度も見ていましたが、それらの映像や写真の比ではありません。一体、どんな力が加われば、金属でできた車がこれほどまでに変形するのでしょうか。

School ボランティアの受付場所は大槌小学校でした。津波の被害だけでなく、火災の跡もくっきりと残っていますが、校庭も利用して、ここに災害対策本部や町役場の仮庁舎が置かれているようです。

小学校の前に立って大槌湾の方向を見やると、雑草が茂る広大な荒れ地が広がっていました。そこに半年前まで町があったことを頭では理解しているものの、どうしても実感がわきません。

こちらで震災前の大槌町の地図をご覧いただくことができます(Googleマップに飛びます)。左上の赤い印を付けた場所が大槌小学校です。その南(下)側一帯に広がっていたはずの市街地は、跡形もなくなっていました。そこに鉄道(山田線)が通っていて、駅まであったとは、帰宅して地図を確認するまで思いもよりませんでした。

さて、私たちツアー一行に割り当てられた仕事は、源水川のイトヨ再生活動でした。イトヨとは体長6cmほどの小さな魚で、大槌町の天然記念物に指定されており、岩手県の絶滅危惧種でもあります。一定水温以下の湧き水でしか生息できないため、津波の被害で絶滅が心配されていましたが、源水川の源流で生存が確認されたことから、大槌町社会福祉協議会と国際NGO Life Investigation Agency(LIA)が中心になって、川の環境整備を行っているそうです。

この日の作業内容は、川底に堆積したヘドロの排出。ヘドロをスコップですくい取って土嚢袋に詰め、土手の上まで運び上げて、更に所定の場所まで一輪車で運搬します。ヘドロを掘っていると、時々、大きな屋根瓦や家電製品の部品(と思われる物)、ガラスの破片など、思いがけない物が出てきました。川に隣接した大槌中学校の建物が、屋根まで被害を受けていましたから、震災当日は波がその高さまで達したわけです。

Gensuigawa現場には私たちのほかにもボランティアバスが着いており、百数十人が協力して作業にあたりました。私の右隣で黙々と泥をすくっているのは、和歌山から来た「もしボラ隊」の女子高生、左側で土嚢袋を受け取ってくれるのは、茨城から参加の初老の男性といった具合です。最初にNGOの担当者から簡単な説明があっただけで、特にリーダーがいるわけではありませんが、いつの間にか作業ラインが出来上がっています。

それにしても、川の水をたっぷり吸ったヘドロの重いこと。気合いだけは十分ですが、土嚢袋が思うように持ち上がらずに悪戦苦闘、気がつけば全身泥まみれです。足下が不安定なのも辛いところで、土嚢袋を持ち上げた途端にその重さで長靴がヘドロに沈み、長靴の縁よりも水面が高くなって、靴の中に一気に泥水が流れ込んだこともありました。そうなると、ヘドロから足を抜くのも一苦労です。

Sandbag 今回のツアーは観光付きで、活動日は1日だけ。出発前には、ボランティアはオマケで、現地にお金を落としてくるだけでもよいかな…と思っていました。実際、活動時間は正味4時間ほどでしたし、慣れない力仕事ですから、自分なりに頑張ったとはいえ、それほど戦力になれたとは思いません。

けれども驚いたことに、作業の前後で、川の様子は一見してわかるほど変わりました。堆積したヘドロで浅く見えていた川が本来の深さを取り戻し、停滞していた流れもこころなしか速くなったようです。100人を超える人海戦術の威力です。そして、人海戦術が成立するためには、たとえ1人1人の力は僅かでも、そのほんの少しずつの力が必要なのですね。それを実感した1日でした。

なお、同じ日に同じ場所で活動していた茨城交通のツアーの添乗員さんが、「岩手ボランティアバス日記」を書いているのを見つけました。よかったらそちらもご覧ください。

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